2013年10月31日木曜日

この夏のこと、これからのこと。

いつもお世話になっております。
wearerのYKです。

早いもので、気がつけばすっかり秋になりました。
日々のことはTwitterやFacebookにてつぶやいたりしておりますが、つぶやいただけの言葉はなおさら、過去にどんどん流れてしまいます。
この夏のことを、きちんとまとめて書こう書こうと思いながら、気がつけば、もう秋です。
人生とはかように、夢を見ているかのように、過ぎていきます。

☆☆☆

この夏、wearerは、はじめてのCD"the blue album"を全国リリースしました。
僕らのありったけを込めたCDが世に放たれて、そこから僕ら、弾かれたように夏を駆け抜けてきました。

6月にCDが出て。
7月に渋谷O-nestでのレコ発。
その勢いのままにTOWER RECORDS渋谷店でのインストア・ライヴ。
そして息をつく間もなく、9月には恵比寿BATICAでの2デイズのアフター・パーティ。

そのすべてを無事にやりきることができたのは、いつもそばで、そして遠くで、wearerのことを気遣ってくださった皆様のおかげです。
本当に本当にありがとうございました。

リリースを向けてレコーディングを始めてから、恵比寿BATICAでのイヴェントが終わるまで、それはそれは、経験したこともないあれこれがありました。
今回ばかりは、さすがに、本当に、心がへし折れてしまいそうになり、もう全部ほっぽりだして、失踪したほうがよいのではないか、と思う瞬間が、何度も何度もありました。

だけど幸いにも僕には、友達や先輩や、僕を気遣ってくださる方がいて。
まるで天啓のようなタイミングで、近くから遠くから、僕を励ましてくれました。
そうでなければ、今頃バンドも仕事も辞めて行方不明になっていたと思います(その場合、身分を偽ってどこかの牧場で住み込みで働く予定)。

本当に本当にありがとうございました。

☆☆☆

世は移り変われど、CDを出すってことは、ロック・バンドにとっては、夢のようなことで。

だからこそ、そのCDを丁寧に作ることはもちろんのこと、CDを出すまで/出してからのひとつひとつの動きが、ほんとうにたいせつで。
僕らwearer、たくさんの方に助けてもらいながら、ひとつひとつ、せいいっぱいやれたのではないかな、と思っております(もちろん、それでも、まだまだ足りないことがあるのは、よくわかっているつもりであります)。

CDを出せば、明日から世界の何もかもが変わるような、知らない女の子がいきなり恥ずかしそうに話しかけてきて「あの…wearerのYKさんですよね?好きです」とかいうような、そんな革命が起こる期待をしてしまいますが、実際には革命は起きません。
だいたい、CDを出すことだって、ひとつのはじまりに過ぎない。
だって僕たちは、この先ずっとずっと歌って行くのです。

それでも、僕らのありのままを全部出したこの"the blue album"は、僕らを、想像していたよりもずっとずっと広い世界に連れ出してくれました。
僕らの音楽が、少しずつではありますが、でも確実に、届いている実感があります。

もちろん、このCDを出した反響など、本当にささやかな、取るに足らないことなのかも知れません。
でも、僕がこの先音楽を続けていく支えとするには、これで十分なのではないか、という気もしています。

☆☆☆

先月、恵比寿BATICAでのライヴの際、僕は生まれて初めて、ライヴの最中に泣いてしまいました。
お恥ずかしい限りです。

今年もwearerは、うんと演奏する機会をいただきました。
FURAGOやユームラウトなどのいつもの仲間が一緒にいてくれたことに加え、DE DE MOUSEさんや、小西さん、タナソウさんなど、あこがれていた大好きな方々ともご一緒することができましたし、totosやTHISTIME RECORDS、スペシャの皆様など、大先輩のお力添えを得ることもできました。
東京を離れ、遠くの街で演奏する機会をいただけるようにもなりました。

また、wearerでの活動以外にも、僕個人として弾き語りやDJにお誘いいただく機会も増えました。
あちらこちらで、たくさんの出会いがありました。

数年前まで、音楽をやることにあこがれていただけの僕でしたが、今では、音楽をやることが、日常生活の一部となりました。
月から金まで走り抜けたら、週末にはいつものハモンスタジオで練習をして、どこかのライヴハウスで演奏して、お酒を飲んで。
そんな毎日が当たり前のように訪れるようになりました。

でも、先日のBATICAでステージにたった時、僕は改めて、この日々の、音楽とともにあることの尊さに触れた気がしました。
仲間がいて、聴きにきてくださる方々がいて、歌うことができる、そのよろこびに。
泣きました。

☆☆☆

音楽を続けていくことがしあわせなことなのかどうかについて、ふと考えたりすることがあります。
人それぞれの生き方、それぞれのしあわせがある中で、音楽を辞めていく人も、たくさんいます。
それはそれでいいと思うし、僕自身、何か盲目的に音楽をやり続けているけれど、もっと広い場所に目をやれば、音楽なんかよりずっとずっと楽しいことがあるのかもな、と思ったりもします。

ただ、難しいことはよくわからないのですし、そもそも音楽のことなどよく知らない僕ですが、唯一言えることといえば、僕はバンドが好きなのです。

仕事やら女の子にもてないやらお金がないやら何やらで割と真剣に死にたいなーと思っているときにも、テレキャスをアンプにつっこんでズババと鳴らせば、体の底から力が湧き上がってくるような感じがあります。
そしてそれ以上に、メンバーと顔を付き合わせて演奏することに何にも代え難いよろこびを感じます。極端なことをいうと、もはや演奏などしていなくても楽しいです。

ライヴの日は大体、スタジオで機材やら物販用のCDやらTシャツやらお金やらを車に積み込んで、みんなでライヴハウスに向かいます。
そんなあれやこれやの準備をしているときにも、僕はメンバーのことをとても頼もしく思うし、これからやってくる時間のことを考えて震えるほどわくわくするのです。

僕はバンドが、このwearerというバンドが好きで、仲間といっしょに過ごす時間が、なにより楽しいです。
だからこそ、僕はメンバーに、wearerに関わってくれる方々に、見たこともない景色を見せたいと、日々足りない頭であれこれ考えているところなのです。

☆☆☆

大概、「売れる」バンドというのは、活動し始めたらすぐに売れていきます。
そういうバンドは、ライヴハウスの中にいてもちょっと他のバンドとは違う空気をまとっていて、すぐに大人のパワーに拾われていきます。

逆をいえば、今売れていないwearerというバンドは、もう「売れない」バンドだということです。
ある日突然レコード会社のひとが現れて、お金を出してCDを作ってくれるようなことは、もうないでしょう。
まあ、このご時世ですから、余計に。

でも、このご時世だからこそできることは、本当はすごくたくさんあって。
大人はわかってくれないかもしれないけど、僕らは、僕らだけのやり方で、誰も辿り着いたことのない場所を目指します。
僕が愛するこのwearerというバンドの歌が、もっと遠く遠くまで、響くように。

☆☆☆

とにかく、いろんなことがあると思います。
ただ好きなだけでは、続けられないことだと、わかっています。
同時に、ただ好きなだけで、なにが悪いんだ、というタチの悪い想いもあります。

僕は明日からも、wearerを続けます。
wearerのみんなに、wearerに関わってくれる方々すべてに、愛と感謝を込めて。

今後とも、何卒よろしくお願いいたします。


追記:
TOWER RECORDS渋谷店でのインストア・ライヴの際、はじめて僕の母と妹が、wearerのライヴを見にきてくれました。
こんな僕が音楽を続けていられるのは、やはり家族のおかげです。
この場を借りて。
いつまでも夢見がちな長男でごめんなさい。
ありがとう。








2013年6月18日火曜日

wearer「the blue album」





いつもお世話になっております。
wearerのYKです。

2013年6月19日水曜日。
wearerのCD「the blue album」がとうとうお店に並ぶ。
正確に言うと、18日の夕方にはもう並んでいるのかもしれない。
とにかく、あと少ししたら、僕たちのCDがお店で買えるようになる。
大変なことだ。

実は、僕は、もうずっと前から、バンドなんてやる前から、もし自分がアルバムを出すようなことがあったら、1番最初のタイトルは「the blue album」にしようと、密かに妄想していた。
病気だ。
それが、現実になる。

子供の頃、とりあえず本屋やCD屋に、ひとつでいいから自分の作品が並んだら、それでいいなー、と思っていた。
(僕は小説家かミュージシャンか、あるいはその両方になりたかった。)
子供だから、食えるとか食えないとかっていう話など、夢にも考えていない。売れるとか売れないとかいう話も気にしていなかった。
お店に自分の作品が並ぶのが見られたら、それでいいと、思っていた。

小学校の卒業文集、「将来の夢」の欄に、僕は「売れない小説家」と書いた。
それは、単に「小説家」と書くのが照れ臭かったからだと思うのだが、それ以上に、「売れてなくたっていいから好きなことをやっている自分でありたい」という願望のあらわれだったのだろうと思う。
子供の頃から、お金儲けに興味が持てなかった。
馬鹿だ。

その念願叶ってか、僕は今「売れないミュージシャン」だ。
ただ、子供の頃の想像と少し違ったのは、お金がないだけでなく、少しも自由じゃないし、おまけに嫌なこともたくさんしなくてはならない、ということだ。


wearerをはじめた時、僕はもう20代の終わりを迎えていた。

大学生の時少しだけバンドをやっていた僕は、卒業し、社会人になり、みるみるバンドから遠ざかって行った。
バンドをやろうとしたこともあった。
でもいつもうまくいかなかった。
とにかく僕が馬鹿だったのだ。
目先のことばかりにとらわれて、本当に浅はかだった。あの頃の僕は、浅はかさに手足が生えたようなもんだった。

本当は、僕だってバンドがやりたい。
でも、単なる就労意欲の乏しいだけのサラリーマンになっていた僕は、バンドをやるためにどうしたらよいのか、もはやわからなくなっていた。
同級生がメジャーデビューしたり、先輩がインディーズでガンガン売れていく様を横目で見ながら、僕は自分に言い訳ばかりするようになった。

もういい歳なんだから、やるならかっこ悪いことはしたくない、とか。
そもそも社会人をやりながらまともなバンド活動ができるわけがない、とか。
それ以前にメンバーが集まらないのだから仕方がない、とか。
だって上手なひとたちとやらなければ意味ないじゃない、とか。

そうして、お酒ばかり飲んで浮かれただけの日々が、泡と消えていった。

でもある日ふと思った。
僕はとにかくバンドがやりたいのだ。
細かいことはどうだっていいから、メンバーなんて揃わなくたっていいから、どんなにださくたっていいから、バンドがやりたくてやりたくて仕方がない人と、一緒にスタジオに入ろう。
何かきっかけがあったわけじゃないけど、僕はそう思った。
バンドは、やるかやらないか、ただそれだけだ。
言い訳はもうやめよう。
そう思った。

その時、僕が真っ先に思いついた「バンドがやりたくてやりたくて仕方がない人」とは、他でもないえいちゃんだった。
歌えるベースの女の子をバンドに入れたかった僕は、ベーシストでもなんでもないえいちゃんに、無理矢理ベースを始めてもらい、バンドに入ってもらった。
その時はシモダくんという僕の大学の同級生がギターで、ドラムはいなくてリズムマシーンで、持ち曲なんてひとつもなく、僕らはただスタジオに入り始めた。
それがwearerの始まりだ。

それから夢のように日々は過ぎた。
なんの目的もなく、ナンバーガールやラプチャーのコピーをやっていたこともあった。
無意味に深夜練習をして、朝マックを食べてみたり。
いきなり僕の左の肺が破れて、もうバンドをやることができない、と思ったこともあった。
時にメンバーが増えたり、時にメンバーが去っていったりした。
やがてライヴハウスに出るようになり、とにかくそのことが嬉しかった。
しこたまノルマ払わされて、いいようにあしらわれても、それでもライヴハウスは僕をバンドマンでいさせてくれると、思っていた。そのことが嬉しかった。
毎回お客さんが3人くらいしかいない地獄みたいなイベントを、隔月でやらされ続けたこともあった。
でも楽しかった。バンドがやれるから。

とにかくすべてがオーケーだった。
だって僕は、あれほどやりたかった、ロック・バンドをやってるんだから。

僕は大人になってしまったかもしれないけど、それでも、ミュージシャンに憧れていた子供の頃と、たぶん何も変わっていないのだと思う。
相変わらず、自分がバンドマンであることが最高に嬉しいし、相変わらず、お金儲けのことも、大人の事情のことも、よくわからない。
確かに言えることは、wearerには、そして僕には、たくさんのすばらしい出会いがあってここまでくることができたし、wearerは僕の夢であり、できることなら生涯かけてこの夢を育てたい、ということだけだ。


季節は流れて、いつか夢の形は、みんな変わっていく。
みんな大人になって、夢を忘れたり、あたらしい夢を見るようになったりもする。
それでいいと思う。
でも、たまには、僕みたいに、相も変わらず子供の頃の夢を追いかけてるのがいても、いいよね、すいません。
なるべく届くように歌うよ。
だから、もしどこかで僕らの歌が聴こえた時には、「馬鹿だなー」でもなんでもいいから、少し心が動いてくれたなら、嬉しいな。

CDを出すということ、本当はすごく迷いました。
たくさんのすばらしい音楽作品が、SoundCloudやYouTubeなどを通じてフリーでシェアできる時代に、僕らみたいな平凡なロック・バンドが人様からお金をいただいてCDを売るということに、何の意味があるというのだろう。
本当に考えさせられました。
でも僕らは、ポップ・ミュージックを鳴らす人間として、より多くの方々に自分たちの音楽を届けたいと衝動に従って、CDをリリースするという道を選びました。
だから、できる限り心を込めて、形を含め、手にとってくださった方に長く愛されるような作品を作りたいと、制作に挑みました。
その結果が、「the blue album」です。
やってよかったと、今は心の底から、そう思っています。


とりとめがないので、この辺で筆を置きます。
wearerを始めたとき、バンドがやれることが嬉しすぎて、CDを出したいっていう願望すらなかった。
そんなことができるだなんて、思いつきもしなかった。
その僕らが、とうとうCDを出します。
今までwearerに関わってくださったみなさん、wearerの音楽に触れてくださったみなさんのおかげです。
本当にありがとうございます。

そして何より、僕のような、何の取り柄もない、凡人以下の人間に歌を歌わせてくれているメンバーにも、改めて感謝を。
いつもありがとう。これからもよろしく。


2013年6月19日水曜日。
wearer「the blue album」発売です。
ここからまた、あたらしいwearerの旅が始まります。
みなさん、何卒よろしくお願いいたします。



2013年1月1日火曜日

2012 - 2013(あけましておめでとうございます。)

あけましておめでとうございます。
センチメンタル日本代表、wearerのYKです。
旧年中、皆々様には大変お世話になりました。
本年も、wearerともども、何卒よろしくお願いいたします。

何かと慌ただしく働いて、バンドをやって、お酒を飲んで、気がついたら年が明けていました。

年末は、忘年会と称してなつかしい顔に出会ったり。
FacebookやTwitterが、不用意に遠いあの人の近況を運んできたり。
そうして、僕が目の前のことばかりに夢中になっている間に、確かに時は経ち、みんなの人生がどんどん動いていることを知ったり。

大学を卒業していろいろあった僕の周りも、たいがいは無事に就職して、社会的に自立して。
あの人は結婚したとか、それどころじゃなく、子供ができた、もう来年幼稚園だ、云々なんていう話も、決して珍しくなくなりました。
昔から知っている友人たちが、父親や母親になっていくということ、僕は不思議な感慨をもって、そういった話を聞いておりました。

そりゃそうなんです。
まともな社会人が多い僕の周りで、30過ぎて「ロックンロールと入籍しました」なんて言ってる馬鹿は、どう考えても僕だけなのです。
妹など「お兄ちゃんはクズでどうしようもないから、私が頑張ってお母さんに孫の顔を見せる」と婚活に勤しんでおります。

僕はwearerをはじめるまで、まともにバンドなどやったことがありませんでした。
だから、wearerをはじめた時、バンドをやることそのものが、僕にとって大きな喜びでした。
お客さんが全然いなくて、それどころかライヴハウスに友達も全然いなくて、曲もなんだかよくわからん感じで、とにかく毎回ものすごい赤字で。
それでも、なんかいろいろうまいことあしらわれてんなと薄々わかっていても、僕はバンドがやれることが嬉しくて嬉しくて。
バンドをもう絶対やめるまい、バンドにどんなに引きずり倒されても、この手を絶対離すまい、そう思ったのです。

もちろん、今でも、そう思っています。

売れるとか売れないとか、お金になるとかならないとか、世の中にはいろんな考え方があります。
正解はどこにもありません。
僕はただ、僕自身の納得を求めて、今年もできる限りのことをしていきたいと、そう思っております。

そして、何もかもが移り変わっていく時代の中の、ひとつの大きな岩のようになりたいと、そう思っております。
僕はなつかしいワトスン君ではありませんが、それでもひとりくらい、相も変わらずなんかよくわからんことを追いかけているやつがいたほうがいいのではないか。
それを見た古い友人たちの心に、何かじれったいようなくすぐったいような気持ちが残せたら、これ本望ではないか。
そんなことを、ぼんやりと考えております。

ミュージシャンなんてみんな自分勝手でわがままで、いつでもどこでも我が我がで、自意識過剰な馬鹿でもうどうしようもないのですが、それでも僕は音楽が、そして何より、それをいつもまで追っかけているような人たちが好きなのです。

そんなしょうもない人たち含めて、僕のだいじな人たちと、たくさんのよろこびをシェアすることができたなら。
今年、その場所を目指します。
とにかくできるかぎりやってみます。

ひとのしあわせは、ひとの数だけあって、それなのに、時に何か得るために何か失うことがあって。
今年も、僕とwearerに関わってくれるひとびとすべてに感謝しつつ。
なにより一層精進して参りますので、皆様、引き続きご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

っていうか元旦から長くてすいません。
別に酔っぱらっているわけではないです。

今年も何卒よろしくお願いいたします。


2013.元旦
tofubeatsからのaiko「おやすみなさい」をしこたま聴きながら。
YK