2014年7月10日木曜日

ハモンスタジオのこと。

平素より大変お世話になっております。
wearerのYKです。

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JR山手線の大塚駅から、歩いて10分と少し。

幾多のラーメン屋と幾多のいかがわしいお店が立ち並ぶ通りをすり抜けてどんどん進み、やがて見えてくるクリーニング屋の角を左へ折れてゆるやかな坂をどんどんのぼっていくと、ハモンスタジオというスタジオがある。
僕らwearerが、リハーサルからレコーディングからライヴからボイトレから機材の預かりからおはようからおやすみまで、とにかく何から何までお世話になってきたスタジオ。
ここ数年、僕が、自宅と職場の次に、人生の多くの時間を過ごしてきたスタジオ。
それがハモンスタジオだ。

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結論からいうと、ハモンスタジオは、ちょっとした事情により、この7月で失くなる。
こういう時、いったい僕は何から話せばいいんだろうか。

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僕がハモンスタジオと出会ったのは、2010年が暮れにさしかかろうとしている頃だった。

2010年が暮れにさしかかろうとしている頃。
嘘のような話だが、まさに「音楽性の違い」というやつで、wearerからギタリストとドラマーがいっぺんに抜けた(世の中には、本当にそういったことがあるのだ)。
そして幸いなことに、新しいギタリストとドラマーがいっぺんに入ってきた。
その新しいギタリストとドラマーっていうのが、他でもない現メンバーのしほくんと陽介だ。

メンバーを一新したwearerは、とりあえず新宿のアルプスというくそ安居酒屋でミーティングを行った。
そしてああでもない、こうでもないと話すうちに、練習はどうすんだ、という話題になった。どこで練習するんだ、と。

そのとき既に泥酔していたしほくんが(この男の酒癖の悪さを、僕はまだ知らなかった)、俺の知っているスタジオで練習しよう、と言い出し、その場で電話をかけ、スタジオの予約をしてくれたのだった。泥酔してたけど。

この時、しほくんが予約してくれたスタジオこそが、ハモンスタジオだった。

こうして僕は、wearerは、ハモンスタジオと、そのオーナーであるけんじさんに出会ったのだった。

2010年が暮れにさしかかろうとしている頃だった。

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僕がはじめてハモンスタジオに訪れた時、けんじさんは、とあるバンドのミックス作業をしているところだった。
今でもよく覚えている。

白猫と黒猫がいて、楽器がところせましと詰め込まれていて、ミックス作業でPC睨みつけてるオーナーがいて。
へんてこな場所だなあ、と思った。

そして僕は、このへんてこなスタジオのことを、いっぺんに好きになってしまったのだった。

決して設備はよくないし、音漏れもしまくるし、猫は2匹もいるし、何かいろいろと間違っている感もあるこのスタジオには、肝心なものはなかったりするくせに、余計なものはいつでもいくらでもあった。
ポップコーン・マシン。ビール・サーバー。寝袋。ルーム・ランナー。
このスタジオは、それでもなぜだか居心地がよくて、いつも何か楽しいことが起こりそうな、わくわくする予感に満ちていた。

だからなのか、ハモンスタジオには、とんでもなく魅力的な人たちが、入れ替わり立ち替わり訪れていた。
みんな、このへんてこなスタジオの魅力と、けんじさんが持っている妙な人徳に引き寄せられて、やってくるのだろう。

詳しくは書かないけれど、僕はハモンスタジオで、信じられないようなご縁をたくさんいただいた。
そして何より、僕も、そのたくさんの方々と、ハモンスタジオというひとつの輪の中に入っている気がして、そのことがすごく嬉しかった。

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唐突だが、子供の頃、僕は少年探偵団に憧れていた。
マガーク探偵団でもおもいっきり探偵団でも江戸川乱歩でもなんでもよいのだけど、とにかく少年探偵団に入りたかった。
仲間たちとつるんで、つまらない大人をあっと言わせてやりたかった。
僕はきっと、子供の頃から、仲間となんかやらかすことに憧れていたのだろう。

あの頃、既に世の中には相当数の少年探偵団(もちろん創作物としての)が存在していたが、そのどれもに共通して言えることは、みんなどこかに『秘密基地』を構えている、ということだった。
退屈な学校が終われば、少年探偵たちはみんな『秘密基地』に集まって、ああでもないこうでもないと言っていた。
僕はとにかく、それがめちゃくちゃにうらやましかった。
つまらない大人なんてひとりもいない、自分たちだけの場所。
どんな時だって、自分を受け入れてくれる場所。
そして、いつでも仲間と会うことができる場所。
僕にとって『秘密基地』とは、そういった場所だった。

勿論、あの頃ただの浅はかな子供だった僕たちに、そんな場所など与えられることはなかった。
手当たり次第に本気で空き家を探したりして、ただ日が暮れて行くだけだった。

僕にとって、ハモンスタジオっていうのは、まさにこの、あの頃喉から手が出るほど欲しかった『秘密基地』のような場所だった。

僕はもう少年探偵団には入れないけれど、仲間と『秘密基地』は手に入れた。
ある日僕はふとこの事に気がつき、夢って思わぬ時に叶うんだな、と割と真剣に思った。

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僕たちwearerが昨年リリースした「the blue album」のレコーディングは、全部ハモンスタジオで、全部けんじさんがやってくれた。
単に録音をしてくれただけでなく、何もわかっていない僕たちに、丁寧なディレクションをほどこしてくれた。
めちゃくちゃ音痴の僕に、根気よく歌を教えてくれた。
ハモンスタジオと出会わなければ、きっと僕たちはCDを出すこともなかった。
深夜まで作業して、スタジオに寝泊まりしたことだってあった。スタジオから出勤したこともあった。
心が曇った仕事の帰り、ひとりぼっちでどうしていいかわからないときは、歌の練習をしに行った。
スタジオがあって、けんじさんが、いれば、だいたいのことは、どうにかなった。
僕はそうやって、どうにもならない夜を、何度も何度も越えてきたのだ。

毎年、年末になればスタジオで忘年会があって、せまいスタジオがたくさんの人でぎゅうぎゅうになった。
みんな好きなだけお酒を飲んだりカレーを食べたり、歌ったりDJをしたり、とにかくたくさんのニコニコがあり、朝が来るまで宴は続いた。
そうやって、1年が終わっていった。
それが、ここ数年の、僕の年の暮れだった。

そうやって、1年が終わっていった。

そのハモンスタジオが、もうすぐ失くなる。
今年の暮れは、スタジオで忘年会をすることなんて、もうないのだ。
翌朝、ぶつくさ言いながらスタジオの掃除をするけんじさんの姿を見ることも、もうない。

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結局僕は、ここに何を書きたかったんだろう。
よくわからない。
でもたぶん、改めて、このすてきなスタジオのことを、ひとりでも多くの人に、知ってもらいたかったのだと思う。

スタジオが失くなっても、僕らバンドは変わらずに続いて行く。
もっと設備がよくて、安価で、利便性が高いスタジオは、この広い東京の街には、たぶんいくらでもある。
だけど、この先、どんなにバンドを続けていようとも、こんなにすてきなスタジオに出会うことは、もう二度とないのではないか。
そんな気もする。

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何をいくら書いたところで、締めくくることができそうもないので、この辺で筆を置きます。

東京の、大塚の街に、へんてこで、いびつで、時々猫が機材に粗相しちゃったりして、それなのにたくさんの人々に愛された、すてきなすてきなスタジオがあったこと。
そこで過ごした日々のこと。
そこで越えた夜のこと。
そこで歌った歌のこと。
僕は死ぬまで、死んでも、忘れないと思う。

本当にお世話になりました。
ありがとうございました。