2014年12月31日水曜日

2014、ありがとうございました。

平素より大変お世話になっております。
wearerのYKです。

いろんなことがあった2014年も、とうとう今日でおしまい。
本年も、wearerともども大変お世話になりました。
僕らみたいなボンクラがなんとか無事に1年過ごすことができたのも、wearerに関わってくださった皆様のおかげです。
本当にありがとうございます。

☆☆☆

遅ればせながら、先日wearer企画@恵比寿BATICAにお越しくださった皆様、ありがとうございました。
とにかく1年のご愛顧に感謝の想いでお応えしたく、いつもの仲間はもちろんのこと、あこがれの諸先輩がたも巻きこんで、細かいことは言いっこなし、計算もなし、全部入りの企画にしようとあるだけぶちこんだこの企画、いかがだったでしょうか。
















楽しんでいただけたなら、幸いです!

そしてその後、毎年恒例のTHISTIME RECORDSの忘年会では、社長の無茶ぶりによって、wearerがスーパーカーのコピバンをやるという暴挙がございましたが、それもおかげさまで無事に終わりました。
ご覧いただいた皆様ありがとうございます。





















BATICAでの企画、そしてTHISTIMEの忘年会と、この年末だけは、育休中のえいちゃんも帰ってきてくれました。

久しぶりに、遠慮なく思い切りギターを歪ませてひと様のコピーなどさせていただきましたが、想ったことはやはり、僕は音楽が、何よりバンドが好きなんだな、ということ。
あの頃と何も変わらずに、変われずに、このままどこまでも行けたらいいなあ、ってそれだけさ。

☆☆☆

振り返ってみれば、今年もいろんないろんなことがありました。
出会いがあって、別れがありました。
成し遂げたこと。叶わなかったこと。忘れられないこと。忘れてしまいたいこと。
それでも、うんとすてきな1年でした。

☆☆☆

僕が高校1年のとき(唐突ですんません)、座席は名前の順に並んでおり、僕の真ん前には、カワカミくんという、僕とおんなじ名字のひとが座っていた。
カワカミくんは勉強もうんとできて、サッカー部で、なんかとんがってて、まあ僕みたいなゴミカスみたいな高校生とは、座席の並び以外まったく接点のないひとだったのだが。
ただ、ある日、ひょんなことから、お互いに日本語ラップを愛好しているということがわかり。
(その頃うちの高校に「おお、脱線3最高だよね!」って言い合える人なんて他にはいなかった。)
まあそんなこんなで、今でも時折飲んだりする、不思議なご縁なのだが。

時は流れ、カワカミくんは立派な社会人になり、僕はいまだにロックンロール・バンドなんてやっているわけだが、先日のBATICAで、どうにかこうにかスチャダラのANIさんや脱線3のロボ宙さんとご一緒する機会を得たわけで。
で、普段分別ある社会人であるカワカミくんの生活には、もはや「ロック」の「ロ」の字も、「ラップ」の「ラ」の字もないわけだが、それでも企画に遊びにきてくれて、「楽しかった」と言ってくれた。

いやこれ、どれくらい伝わってるかわからないけれど、すげえ話だなー、と僕は思ってまして。
高校生のときに好きだったものが今でも好きで、その人らと共演して、それを高校の同級生が観てくれた、っていう。
これを馬鹿の一念といわずして、なんといいましょうか。

CDをリリースして以来、僕らにはものすごいたくさんのご縁があり、僕自身が学生の頃から好きだった方々と共演させていただく機会を、たくさん得ました。
でも、それっていうのも、好きなものを好きで居続けたら突き抜ける瞬間もありますよ、と言いたいがために、頑張ってきただけなのかもしれないな、と思うわけです。
あの頃音楽が大好きだったみんなに、今でも音楽が大好きなみんなに対して、僕みたいな、なんにもない凡人でも、やれるだけやったら(もちろんまだやれますが)、なんかご褒美ありますよ、と。それって、なんか夢のある話じゃないですか、と。
まあ、これは、バンドうんぬんというより、あくまで僕個人の話ですが。

☆☆☆

「僕らの夢はみんなの夢だから!」みたい物言い、僕は大嫌いです。
僕の夢は僕の夢、あなたの夢はあなたの夢。
勝手にひとを巻き込んだ気になるんじゃないよ、っていう話です。
僕はあくまで僕のために、心と体を削っているつもりであります。
それでも、そういう僕の思い込みによる行動やその結果が、どんな形であれ、誰かに届いてくれたら、すごくすてきだな、と思っております。
至らない事ばかりではありますが、来年も、wearerともども、何卒よろしくお願いいたします。

☆☆☆

なんだか、期せずして長くなってしまった。
年末にすいません。

今年はなんと、この最後の日にもwearerは演奏します。
恵比寿BATICAにて21:10から。
今のメンバーになってから、はじめての年越しイヴェント。
年越しをメンバーと一緒に過ごせるなんて、本当に幸せなこと。
誘ってくださった恵比寿BATICA、ほんとうにありがとう。
今晩、東京の空の下で逢える方、乾杯しようぜ。

☆☆☆

さてさて。
そろそろ支度をして、あわただしくていとおしい年末の街を、駆け抜けてみようかと思います。
改めまして、今年も本当にありがとうございました。
今夜、遠く遠くにいるひとにも、ご迷惑でなければ、僕らの歌が、東京いう街を廻すグルーヴが、どうか届きますように。

皆さん、どうか、どうかよいお年を。
本当にありがとう。
また来年。

2014年12月17日水曜日

ロックンロール・バンドの季節

『ロックンロール・バンドの季節』

お元気ですか。遠くの遠くのあなたは。
季節は流れ、すべては変わりゆくけれど。
東京の街には今日も夜が訪れて、僕はロックンロール・バンドで、今歌っている。

お元気ですか。遠くの遠くのあなたは。
大人になっても答えは見つからないけれど。
東京の街には今日も夜が訪れて、僕はロックンロール・バンドで、今歌っている。

ロックンロール・バンドの季節は、いつか君と僕がいた日々だ。
ロックンロール・バンドの季節。君といた季節。過ぎて行く。

僕はただ、今を生きている。

どうか元気で、お気をつけて。

平素より大変お世話になっております。
wearerのYKです。

気がついたら、今年ももうおしまいの季節になってしまった。
僕は、ど平日だというのに、眠れずに、ビールを飲んで、こんな時間にブログの更新なんざしている。
馬鹿だ。

☆☆☆

この1年、どんな1年だったか、と言われれば、いつもどおりの1年だった。
できるだけ一生懸命に、バンドやって、仕事して(あるいは、仕事して、バンドやって)、それだけのシンプルな1年だった。
どれだけ一生懸命やれたのかは、僕にもわからない。
でも、まだまだやれることがあったことは、確かだ。

もちろん、「いつもどおりの1年」の中にも、いろんないろんなことが、たくさんたくさんあった。
メンバーや、友達や、身の回りの多くの人たちの人生が、どんどん動いて行った。
よしにつけ悪しきにつけ、当たり前だったことが、どんどん当たり前ではなくなっていった。
当たり前のように顔をあわせて、当たり前のようにお酒を飲み、ぐでんぐでんになって終電を逃しても何も恐れず、シメにとんこつラーメンを食べてしまうような、そんな当たり前の風景が、少しずつ僕の日々から遠ざかって行った。

これを青春というのだろうか。

僕は、とにかくぶれずにいようと思った。
基本的に僕は、ぶれようにもぶれようがない。そう思っていた。僕には、この生き方しか選びようがない。
それでもとにかく、ぶれようのない僕にも、強い意志が必要だった。
ここにいること、ただそれだけに、強い意志が必要だった。
そういう年だった。

仕事は仕事で、なにかどんどんややこしい話になっていて、とにかく振り落とされないように必死だった。
今に始まったことではないが、このままこの仕事を続けていていいのだろうかと、たちの悪い想いが何度も頭をよぎった。
まあ、でも、頑張ります。もちろん。
仕事頑張ってこその、僕ですので。

wearerはといえば、去年CDをリリースしてから、すごくいい流れで1年過ごすことができた。
とにかく諸先輩がたの胸をお借りする機会が多かった。
どなたも、僕が学生のとき、好きで好きで憧れていた方々ばかりで。
はじめてサーキット・イヴェントにも参加することができた。
あちこちで出会いがあり、いろんなところでいろんな方にお世話になり、友達がたくさんできた。
河西くんがイヴェントに呼んでくれたことも嬉しかったなー。一緒に仙台行ったりして、最高に楽しかった。
思い起こせば、夢のようなことばかりだ。
でも、夢ではないから、精進します。

☆☆☆

この年末、あと少しだけ演奏する機会があります。
来年は、次の音源に向けて、本格的に製作期間に入りますので、ライヴの本数はぐっと減る予定です。
よかったら、今年のwearer、ぜひともご覧になってください。

次のライヴは、12.20土 恵比寿BATICAでのwearer主催イヴェントです。
今年もとにかくいろんな方にお世話になり、その感謝を少しでも演奏と企画でお返しするべく、このイヴェントを決めました。
何より何より、この1年、僕らの音楽を聴いてくださった皆様へ、愛と感謝を込めて。
とにかく特別な編成で、久しぶりにロング・セットをやります。
1年間、本当にありがとうございました。

そして、このタイミングで、とっておきの新曲を何曲か演奏しようと、思っております。
次の音源に入れるために書いた曲です。
すごく思い入れのある曲です。
届いてくれればいいと、そう願っております。届くように、頑張ります。

☆☆☆

なんというか、ブログなんて、誰に頼まれて書いているわけでもないんだから、好きなことを好きなように書けばいいんだから、何を書いたっていいはずなのに、結局僕はバンドのことをたくさん書いてしまう。
つまりは、僕の人生とは、そういったものなのだろう。
なんてくだらなくて、なんてすてきなんだろう。
すいません。

ひとくちにバンドマンといっても、すごく職人気質な方もいれば、なんだか芸能人みたい立ち振る舞いの方もいて、いろいろです。
僕は、難しいことはわからないんだけど、バンドをやるのが好きな男です。バンドっていうのは仲間とやるもので、僕はひとりで音楽やることとかには、それほど興味ありません。つまりは、そういうことなんだと思います。

こうして2014年が暮れて行く。
もう行ってしまうんだね、2014。
楽しかったよ、2014。
あなたのことがとても好きだった。2014。
あとわずかな時間、全力で駆け抜けていく所存ですので、皆様、何卒よろしくお願いいたします。

2014年9月27日土曜日

これから僕ら大人になろう。たまにはうしろ振り向きながら。

平素よりお世話になっております。
wearerのYKです。

気がついたら前回の更新から2ヶ月くらい経ってしまった。
気がついたら、今年の夏がもう終わっていた。

夏のあいだじゅう、何をやっていたのかというと、これでもかというくらいライヴをやっていた。
8月の頭から今の今まで、とにかくほとんど毎週のように、wearerで演奏したり、弾き語りをしたりしていた。
金曜に渋谷で歌って、次の日土曜は仙台で歌って、帰ってきて月曜にまた渋谷で歌って、みたいなこともあった。

僕は毎年夏になると、理由もなくめちゃくちゃ落ち込んだりしたあげくどこか遠くへ行きたくなってしまったりするだが(夏の憂鬱)、今年は落ち込んでいる暇すらなかった。
なんとありがたいことなのだろう。
そしてなんと、まだまだ、今週末も来週末も、僕は歌うのです。
しあわせだ。

☆☆☆

この夏が過ぎて行く間、なんだかたくさんのバンドの解散や活動休止の話を聴いた。
かつて対バンしたバンド。
企画に出てもらったバンド。
対バンしたことはないけれど、そのうちどこかで相見えるだろうと思っていたバンド。
野心を持って天辺を睨みつけていたバンド。
世の移り変わりなどはどこ吹く風で、ライフワークとして、いつまでも続いていくのではないかと思っていたバンド。
いろんなバンドがおやすみするという。

例えば、おんなじ時期に種を植えて咲いた花は、時がくれば、いっせいに枯れていく。
そんな話をふと思い出したりする。
バンドもどこか、花のようなものなのかもしれない。

んなわけねえか。

僕はただ、続けて、続いて行きたいと思います。
歌いたい歌があり、聴かせたい歌があります。

☆☆☆

最近「海街diary」という漫画を読んでおります。
すごくいいです。
仕事がなんだかじわじわと忙しくなってきております。
会議がとにかく多くて、偉い人もいっぱいです。
そして隙あらば、お酒を吞んでおります。
街へ出て、たくさんのひとに会いたいです。
そして孤独をおそれることなく、どこまでも行きたいです。

☆☆☆

TwitterやFacebookで日々のことを綴ることが多くなって以来、このブログに何を書いたらいいのかわからず、そりゃ更新も滞るという話なのですが。
ふと思ったのだけど、いつか自分で読み返したくなるようなブログを書けばよいのではないかと思った。
だから読み返したくなるような日々を生きなくてはなりませんね。
そしてまた、その先へ向かっていきたくなる日々を。

よろしくお願いいたします。

2014年8月5日火曜日

ユームラウトのこと。

平素より大変お世話になっております。
wearerのYKです。
フジロックには出るまで行かないと決めております。
いや、割とまじで。

☆☆☆

8月9日(土)渋谷LUSHにて、wearerの次のライヴがあります。
ユームラウトというバンドがCDを全国リリースしまして、この日のイベントはそのお祝い、いわゆるリリース・パーティなのです。
大事な友達の、大事なお祝い。
僕は、いつにもまして、高まっております。
今日は、そんなユームラウトの話を。

☆☆☆

僕らwearerが企画を始めてからというもの、そのほとんど全てに出演してくれているのが、このユームラウトというバンドです。
どう考えても、wearer企画最多出演は彼らです。
要するに、音楽的にも、人間的にも、僕は彼らをすごく信頼しているということです。

そしてこのユームラウトというバンド。
西村くんという、素晴らしいソングライターの歌を、どこまでもまっすぐで、それでいてひねくれたまま届けようとする、まるで中2の片想いのようなバンドです。
つまり最高だということです。

☆☆☆

ユームラウトのギター/ヴォーカルである西村くんとはじめて出会ったのは、もう5年以上前のこと。
忘れもしない渋谷LUSHだった。
というのも、それがwearerにとって、初めてライヴハウスから話をもらったライヴだったからだ。

wearerを組んで曲を作ったものの、サラリーマンやりながらまともにロック・バンドなんかできるんだろうか…そんなふうにモヤモヤしていた僕に、当時渋谷LUSHのブッキングだった劔樹人という人が、ライヴをやりませんか、と声をかけてくれた。
ライヴハウスにしてみればなんでもない誘いだったのかも知れないが、僕は、そのお声がけが本当に嬉しかった。
例え平日でも、出番が遅めで、リハーサルをやらなければ、ライヴができる。
僕はメンバーを説得して、とにかく飛び込んでみることにした。
それが、今日のwearerのはじまりです。

話が逸れた。
とにかく、その記念すべきライヴで出会ったのが、当時は弾き語りをしていた、ユームラウトの西村のぶひろという男だった。

☆☆☆

お酒を飲んでちょっと話せば、西村くんは、嘘のつけない、すごくチャーミングな男なのだと、すぐにわかった。
我々は出会って間も無く、すぐに仲良くなった。

出会った頃の西村くんは、確かまだ大学生だった。
とにかくいい声で、いいメロディを歌っていて。
僕よりうんと年下だけれど、ミュージシャンとしての活動歴は、僕よりうんと先輩で。
一見腰が低いようで、それでもやっぱりてっぺんを睨みつけて、俺もいつかやってやりますよ、という気概に満ち溢れていた。
僕は勝手に彼のことを同志だと思い込み、一緒にお酒を沢山飲んだ。
飲みの手配も、いつもスムーズで、そんなところでも、僕は彼にいつも甘えてばかりいた。

仲良くなってからは、僕は西村くんといくつもの夜を越えてきた。
僕が飲んで帰れなくなって西村くんの家に泊めてもらい、翌朝西村くんが用意してくれた朝食を食べながら、「ねえ、今日どうする?」と彼氏彼女的な会話をする、ということが、ひと月に何度も何度もあった。

ひどい時には、クリスマス・イヴとクリスマスの2daysを共に過ごしたこともあった。
イヴに飲んだくれた後のクリスマスの昼下がり、西村くんの家で彼の新曲のデモを聴きながら、俺が可愛い女の子とかでなくて本当にすまない、と、僕は心の中で、心の底から、詫びた。

☆☆☆

西村くんは、器用なようでいて実は不器用な人で。
時に空回りする情熱を、外野のいらん野次にへし折られそうになりながらも、とにかく頑固に自分のやり方を貫いてきた人で。
彼のもてあました熱が、ときに誰にもうまく伝わらずに、やけくそみたいに飲みまくった打ち上げ後の明け方の空に消えて行くだけ。
そんな時期もあった。

だから、ユームラウトが今のメンバーになって思い切り走り出したとき、僕はその西村くんの不器用な想いが、届くべきところに届いたような気がして、なにか嬉しかった。
ロックンロールは、誰がなんと言おうが、いつまでだって続けたやつの勝ちなんだ。
そう思った。

☆☆☆

ユームラウト、というか西村くんの話ばかりになってしまったけど、他のメンバーにも、もちろんお世話になっております。
特にキーボードの346くん。
実は346くん、僕らwearerのサポートを何度かしていただいてまして。
それも、彼がサポートしてくれたのは、totosとCALENDERSとの3マンとか、DE DE MOUSEとの対バンとか、とにかく超重要ギグの時ばかり。
本当に助けられました。
すげえ楽しかったなー。
彼みたいな華のあるキーボーディスト、そうそういないよ。
大好きだぜ。
また一緒にbaby blueをハモりたいです。

☆☆☆

そんな、公私をともにしてきたソウルメイトであるユームラウトが、とうとうCDを出しました。
片想いが、片想いのまま、お店に並び、あなたのもとへ届く。すてきじゃないか。
夢って叶うんだぜ。嘘じゃないよ。
僕は本当に嬉しい。

僕はいつも、ユームラウトの「さらば」という曲をライヴで聴くと、なぜだか泣いてしまうんだ。
8月9日も、きっと最高の演奏をしてくれるんだろうな。
そして僕はまた泣くんだろうな。

この大事なお祝いのイベントに出られること、本当に光栄に思ってます。
この日はユームラウトと、ユームラウトが大好きな皆さんのために、心をこめて東京の夜廻します。

8月9日、とにかく最高の夜にしたいです。
何卒よろしくお願いいたします。
そして、ありがとう、おめでとう、ユームラウト!

2014年7月10日木曜日

ハモンスタジオのこと。

平素より大変お世話になっております。
wearerのYKです。

☆☆☆

JR山手線の大塚駅から、歩いて10分と少し。

幾多のラーメン屋と幾多のいかがわしいお店が立ち並ぶ通りをすり抜けてどんどん進み、やがて見えてくるクリーニング屋の角を左へ折れてゆるやかな坂をどんどんのぼっていくと、ハモンスタジオというスタジオがある。
僕らwearerが、リハーサルからレコーディングからライヴからボイトレから機材の預かりからおはようからおやすみまで、とにかく何から何までお世話になってきたスタジオ。
ここ数年、僕が、自宅と職場の次に、人生の多くの時間を過ごしてきたスタジオ。
それがハモンスタジオだ。

☆☆☆

結論からいうと、ハモンスタジオは、ちょっとした事情により、この7月で失くなる。
こういう時、いったい僕は何から話せばいいんだろうか。

☆☆☆

僕がハモンスタジオと出会ったのは、2010年が暮れにさしかかろうとしている頃だった。

2010年が暮れにさしかかろうとしている頃。
嘘のような話だが、まさに「音楽性の違い」というやつで、wearerからギタリストとドラマーがいっぺんに抜けた(世の中には、本当にそういったことがあるのだ)。
そして幸いなことに、新しいギタリストとドラマーがいっぺんに入ってきた。
その新しいギタリストとドラマーっていうのが、他でもない現メンバーのしほくんと陽介だ。

メンバーを一新したwearerは、とりあえず新宿のアルプスというくそ安居酒屋でミーティングを行った。
そしてああでもない、こうでもないと話すうちに、練習はどうすんだ、という話題になった。どこで練習するんだ、と。

そのとき既に泥酔していたしほくんが(この男の酒癖の悪さを、僕はまだ知らなかった)、俺の知っているスタジオで練習しよう、と言い出し、その場で電話をかけ、スタジオの予約をしてくれたのだった。泥酔してたけど。

この時、しほくんが予約してくれたスタジオこそが、ハモンスタジオだった。

こうして僕は、wearerは、ハモンスタジオと、そのオーナーであるけんじさんに出会ったのだった。

2010年が暮れにさしかかろうとしている頃だった。

☆☆☆

僕がはじめてハモンスタジオに訪れた時、けんじさんは、とあるバンドのミックス作業をしているところだった。
今でもよく覚えている。

白猫と黒猫がいて、楽器がところせましと詰め込まれていて、ミックス作業でPC睨みつけてるオーナーがいて。
へんてこな場所だなあ、と思った。

そして僕は、このへんてこなスタジオのことを、いっぺんに好きになってしまったのだった。

決して設備はよくないし、音漏れもしまくるし、猫は2匹もいるし、何かいろいろと間違っている感もあるこのスタジオには、肝心なものはなかったりするくせに、余計なものはいつでもいくらでもあった。
ポップコーン・マシン。ビール・サーバー。寝袋。ルーム・ランナー。
このスタジオは、それでもなぜだか居心地がよくて、いつも何か楽しいことが起こりそうな、わくわくする予感に満ちていた。

だからなのか、ハモンスタジオには、とんでもなく魅力的な人たちが、入れ替わり立ち替わり訪れていた。
みんな、このへんてこなスタジオの魅力と、けんじさんが持っている妙な人徳に引き寄せられて、やってくるのだろう。

詳しくは書かないけれど、僕はハモンスタジオで、信じられないようなご縁をたくさんいただいた。
そして何より、僕も、そのたくさんの方々と、ハモンスタジオというひとつの輪の中に入っている気がして、そのことがすごく嬉しかった。

☆☆☆

唐突だが、子供の頃、僕は少年探偵団に憧れていた。
マガーク探偵団でもおもいっきり探偵団でも江戸川乱歩でもなんでもよいのだけど、とにかく少年探偵団に入りたかった。
仲間たちとつるんで、つまらない大人をあっと言わせてやりたかった。
僕はきっと、子供の頃から、仲間となんかやらかすことに憧れていたのだろう。

あの頃、既に世の中には相当数の少年探偵団(もちろん創作物としての)が存在していたが、そのどれもに共通して言えることは、みんなどこかに『秘密基地』を構えている、ということだった。
退屈な学校が終われば、少年探偵たちはみんな『秘密基地』に集まって、ああでもないこうでもないと言っていた。
僕はとにかく、それがめちゃくちゃにうらやましかった。
つまらない大人なんてひとりもいない、自分たちだけの場所。
どんな時だって、自分を受け入れてくれる場所。
そして、いつでも仲間と会うことができる場所。
僕にとって『秘密基地』とは、そういった場所だった。

勿論、あの頃ただの浅はかな子供だった僕たちに、そんな場所など与えられることはなかった。
手当たり次第に本気で空き家を探したりして、ただ日が暮れて行くだけだった。

僕にとって、ハモンスタジオっていうのは、まさにこの、あの頃喉から手が出るほど欲しかった『秘密基地』のような場所だった。

僕はもう少年探偵団には入れないけれど、仲間と『秘密基地』は手に入れた。
ある日僕はふとこの事に気がつき、夢って思わぬ時に叶うんだな、と割と真剣に思った。

☆☆☆

僕たちwearerが昨年リリースした「the blue album」のレコーディングは、全部ハモンスタジオで、全部けんじさんがやってくれた。
単に録音をしてくれただけでなく、何もわかっていない僕たちに、丁寧なディレクションをほどこしてくれた。
めちゃくちゃ音痴の僕に、根気よく歌を教えてくれた。
ハモンスタジオと出会わなければ、きっと僕たちはCDを出すこともなかった。
深夜まで作業して、スタジオに寝泊まりしたことだってあった。スタジオから出勤したこともあった。
心が曇った仕事の帰り、ひとりぼっちでどうしていいかわからないときは、歌の練習をしに行った。
スタジオがあって、けんじさんが、いれば、だいたいのことは、どうにかなった。
僕はそうやって、どうにもならない夜を、何度も何度も越えてきたのだ。

毎年、年末になればスタジオで忘年会があって、せまいスタジオがたくさんの人でぎゅうぎゅうになった。
みんな好きなだけお酒を飲んだりカレーを食べたり、歌ったりDJをしたり、とにかくたくさんのニコニコがあり、朝が来るまで宴は続いた。
そうやって、1年が終わっていった。
それが、ここ数年の、僕の年の暮れだった。

そうやって、1年が終わっていった。

そのハモンスタジオが、もうすぐ失くなる。
今年の暮れは、スタジオで忘年会をすることなんて、もうないのだ。
翌朝、ぶつくさ言いながらスタジオの掃除をするけんじさんの姿を見ることも、もうない。

☆☆☆

結局僕は、ここに何を書きたかったんだろう。
よくわからない。
でもたぶん、改めて、このすてきなスタジオのことを、ひとりでも多くの人に、知ってもらいたかったのだと思う。

スタジオが失くなっても、僕らバンドは変わらずに続いて行く。
もっと設備がよくて、安価で、利便性が高いスタジオは、この広い東京の街には、たぶんいくらでもある。
だけど、この先、どんなにバンドを続けていようとも、こんなにすてきなスタジオに出会うことは、もう二度とないのではないか。
そんな気もする。

☆☆☆

何をいくら書いたところで、締めくくることができそうもないので、この辺で筆を置きます。

東京の、大塚の街に、へんてこで、いびつで、時々猫が機材に粗相しちゃったりして、それなのにたくさんの人々に愛された、すてきなすてきなスタジオがあったこと。
そこで過ごした日々のこと。
そこで越えた夜のこと。
そこで歌った歌のこと。
僕は死ぬまで、死んでも、忘れないと思う。

本当にお世話になりました。
ありがとうございました。

2014年6月18日水曜日

遠く離れた場所であっても、ほら。

平素より大変お世話になっております。
wearerのYKです。
夏の匂いがします。

☆☆☆

下北沢サウンドクルージング、無事に終了いたしました。
お忙しい中、また沢山のミュージシャンが演奏する中、wearerを選んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
下北沢の街なかで、次は何を見に行こうか、そわそわと楽しんでいるお客様の雰囲気、本当に夏のお祭りの雰囲気でした。
ミュージシャンとして、このお祭りに参加できたこと、誇りに思います。
ありがとうございました。

そしてその翌週は、渋谷LUSHの9周年アニバーサリーにてwearer演奏させていただきました。
渋谷LUSHは、wearerが初めてブッキングをいただいたライヴハウス。
うちのえいちゃんが「LUSHは第2の青春」みたいなこと言ってて、本当にそんな感じです。
毎年アニバーサリーの月に演奏することができて、本当に嬉しいです。
これからもいろんな形で、ご恩を返せていけたらな、と思います。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

次回のwearerは、少し間があきまして、8月9日(土)に渋谷LUSHです。
ユームラウトのリリース・パーティ、対バンはおとぎ話、パブリック娘。、最高じゃないか。
どうぞよろしくお願いいたします。

☆☆☆

しかしながらいつものことながら、大きなイベントが終わった後の、何事もなかったかのようにおかまいなしに日常が始まるこの感じ、本当に不思議な気持ちになります。

人間界に帰ってきた馬場ラムネのようなこの気持ち、嫌いじゃないです。
夢だけど、夢じゃなかった、この気持ち。
すてきです。

☆☆☆

季節のせいなのかなんなのか、ここのところ、結婚のお祝いにお呼ばれする機会がいくつもありまして。
ちなみに、6月に3本、7月に2本、8月に2本、お招きいただいております。
ライヴの予定ばりに結婚式の予定が入っている…むしろライヴの予定より多い。
みんなどれだけ結婚すれば気が済むのだろう。
いやはや、おめでたいことです。
しかし僕の周りは結婚していく人々が絶えない。
ご祝儀に余裕で100万以上使っている自信がある。
そして、結婚式の大概のことは見抜く自信がある。

否が応でも、時の流れを感じる。
とにかくみんな大人になっていく。
「奥さんと子供を養うために転職しなくては」などという話が聞こえてくる。
「子供の小学校を私立にするか公立にするかで、義理のお母さんと揉めている」なんていう話もあったりする。
ついでに「お前バンドなんかやってたの?!」と困惑する声も聞こえてくる。

ご安心ください。
世の中がどんなに移り変わろうが、僕だけは何も変わらずにここにおります。
ここで歌っております。
よろしくお願いいたします。

☆☆☆

あ、そうそう!
下北沢サウンドクルージングから、wearerの新しいTシャツの販売が始まりました。
なんとイラストは玉置勉強先生書き下ろし!
おやすみ中のベーシスト、えいちゃんをモチーフに書き下ろしていただきました。
休んでいる間も、一緒に活動できるようにね。
いわば、ど根性ガエル的なアレです。
ピョン吉です。
ライヴ会場にて販売しておりますので、機会があったら、お手にとってくださいね。

玉置先生は、僕が大学生の時から好きで。
当時「恋人プレイ」という先生の作品を愛読してました。
大学生の頃から好きだった方とつながれるなんて、やっぱり僕は嬉しいです。
何か当たり前のことのような気がしてしまうけど、とんでもない、奇跡みたいなもんです。
音楽以外でも、こういうご縁ってあるのだな。
ありがとうございます。

先生の最新作「親父の愛人と暮らす俺」も、単行本が絶賛発売中です。
ぜひとも。





☆☆☆

ここには、ただつれづれに日々のことを書きたいと思ってるのだけれど、結局、大体は、バンドの話になってしまう。
働いて、歌って、それだけで、本当に他には何にもないんだなー、と思う。

家に帰れば、なんだかかえってバタバタしてしまうから、仕事帰りの電車の中、iPhoneでこれを書いている。
電車の中では、学級委員がそのまま大学生になったような女の子が、心の底からどうでもいいような話を、大真面目に大声でまくしたてている。
ほんの少しでいいからお酒が飲みたい、そう思いながら書いている。
どうして僕はバンドをやるんだろう、などと、どうせ答えを出すつもりもないことを、考えるフリなどしながら、これを書いている。



(写真は佐藤早苗ちゃん。いつもありがとう。サウンドクルージングの時の様子です!)

2014年5月17日土曜日

よければ一緒に、そのほうが楽しい。

平素より大変お世話になっております。
そしてブログ上では大変ご無沙汰しております。
wearerのYKです。

(デザイナーの方に、すごくすてきな、これまでwearerをご存じなかった方がwearerに興味を持っていただけるような感じに、仕上げていただきました。稲葉さん、本当にありがとうございます。)

で、その新しいトップページに、このブログへのリンクを貼っていただいているのですが、肝心のブログがまるで更新されていないのでは、せっかくご覧いただいているかも知れない方に、大変失礼なのではないか、と、そんな気持ちでブログをしたためている次第であります。

そしていい機会なので、今後はなるべくまめにここを更新していきたいと思います。
できる限り、たいした意味のない、ただ日々をつづるようなものになればよいな、思っております。
そしてまるで更新される様子がなれれば、ひと言「こら!」と言ってやってください。

☆☆☆

いきなりご報告めいた話で恐縮なのですが、産休中だったwearerのベース・ヴォーカル、えいちゃんこと佐々木詠子が、先日無事に出産いたしました。
先日メンバーみんなでお祝いを渡しにいってきましたが、母子ともに元気です。
赤ちゃんは、えいちゃんによく似た、かわいらしい女の子です。
産休中だったえいちゃんは、これから引き続き育休に入ることになるのですが、彼女のことだから、きっとかっこいいお母さんになって、またうつくしい歌を歌ってくれると、思っております。
本人も、また歌いたいと、申しております。
当面の間、wearerは変わらずの男所帯ですが、引き続きご愛顧のほど、何卒よろしくお願いいたします。

☆☆☆

今年に入ってサポート・メンバーを加えたwearerですが、もう既に何度も演奏する機会をいただいており。
今年最初のライヴが中塚武さんとご一緒だったのを皮切りに、ありがたいことに諸先輩がたとご一緒する機会が本当に多く、これまでにないプレッシャーの中、とにかく懸命に演奏してきました。
恵比寿BATICAのアニヴァーサリーではCHABEさんやThe Pat、PUNPEEさんとご一緒だったり。
初めての高円寺HIGHではヒダカトオルさんのGALLOW、そしてbig the grapeとご一緒だったり。
勉強させていただきました。
ご覧いただいた皆様、本当にありがとうございました。

そして次回のwearerは5/31土にShimokitazawa SOUND CRUISINGに参戦です。
母親に「小林幸子さんとおなじイヴェントに出る」と報告したのですが、話が斜め上を行き過ぎて、なんのことやら未だに理解できていないようです(おかげでびっくりするほど薄いリアクション)。
CDを出したときもそうなのですが、家族にとっては僕のやっていることなど「単なるサラリーマンのはずなのに、こいつはいったいなにやってるんだろう」と、ただ意味不明な行動に映っているようです(とにかくリアクションが薄い。タワレコにCDが並んでても薄い)。
ええ、頑張ります。

Shimokitazawa SOUND CRUISING、wearerは下北沢ReGにて16:30から演奏します。
みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

☆☆☆

そもそも、このwearerというバンドは、僕とえいちゃんではじめたバンド。
最初いたメンバーが抜けたり、入れ替わったりする中、えいちゃんだけがwearerを続けてくれたんだ。

僕の書いた歌を、あの頃は、えいちゃんだけが、いいと言ってくれた。

そのえいちゃんが、結婚して、お母さんになって、バンドをお休みして。
とうとう、wearerの初期メンバーは、僕だけになってしまった。
それでも、当然のこととして、別段決意めいたものは何もなく、僕はバンドを続ける。
ただ、遠くへきてしまったな、とは思う。
空想ほどは高く飛べなくても、それでも、期待の、予想の、少しずつ外へ、はみだすようにして。

最近ふと思うことは、「しあわせ」と聴いて多くの人が思い浮かべるイメージの中には、たくさんの決まりごとがあるんだな、ということ。
「しあわせ」とは、ああしなくちゃいけない、こうしなくちゃいけない。
時にそのイメージをなぞるようにして生きた方が、楽なことも、あること。
もちろん、本来「しあわせ」には決まりごとなんてひとつもなく、人それぞれのものであって、他の誰にも決められないということ。

でもそのうえで、それでも、自分だけの「しあわせ」を自分だけで決めるのは、すごく、勇気がいるということ。

月曜から金曜まで、ネズミ色になって働いている僕は、それでも歌を歌いたいと思っていて。
それってやっぱり、見る人から見れば、すごくおかしなことで。ゆがんだことで。いびつなことで。
だから、僕は、たくさんの人が思い浮かべるような「しあわせ」はもう手に入らないかもしれない、とも考えていて。

だって見方によっては、こんな時に、お金にならないロックンロール・バンドを続けることなんて、クリアできないドラクエⅢをいつまでもやり続けていることと、大差ないわけで。
夕暮れ時に、みんな一抜けしていく遊びを、僕はたったひとりでやっているだけなのかもしれない。
「おまえ、まだそんなことやってんの?」って言われながら。
みんなもう、あたらしいよろこびを見つけて、どんどん大人になっていく、こんな時に。

それでもね、僕はバンドを続けます。
大体、えいちゃんが戻って来たいと言っているんだ。
続けるしかないよ。
それに僕には、まだ懲りずに、歌いたい歌がある。
まだそれがどんな歌なのか、僕にもわかっていない、まだ見ぬ歌も、含めて。

どこかで、僕らの歌を聴いてくださっているみなさま、あらためまして、本当にありがとうございます。
少しでも心に響くもの、作っていく所存です。
よければ、この先もお付き合いください。

☆☆☆

長くなってしまいました笑
これからスタジオにこもってきます。
去年のこの時期はくそほど休日出勤していましたが、今年は心置き無くスタジオで演奏できる、そのよろこびをかみしめながら。

今後とも、何卒よろしくお願いいたします。

2014年1月11日土曜日

「東京の夜が廻りだす。」/ wearer

遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
旧年中は、大変お世話になりました。
本年も何卒よろしくお願いいたします。

wearerから新年のご挨拶、昨年リリースした「the blue album」より、
「『東京の夜が廻りだす。』」のMVが公開となりました。
本年もこの曲で、東京の夜廻させていただきます。
本年も、wearerともども、何卒よろしくお願いいたします!