2017年7月11日火曜日

真夏の夜に僕は眠れず、考えている。

平素より大変お世話になっております。
YKでございます。

実はこの春から、新しい職場に異動になりました。
まあ、とにかくいろんなことがあって、いろんな風が吹きすさんで、それでも死なない程度になんとかやっております。
くわしいことはとてもじゃないがこんなところでは言えないから、いつかお酒でも飲みながら聞いてやってください。

近頃はビル風の中にも夏の匂いが混ざるようになって。
いくつになっても性懲りもなく感じる「何かがはじまりそうな」胸騒ぎと、何がはじまったとしても仕事で身動きがとれない現実の狭間で、今日も生きております。

☆ ☆ ☆

こないだの金曜土曜、仕事の都合で京都にいた。
いろんな方々の気配りに助けられ、支えられ、端々で自分の至らなさを感じつつ、仕事はなんとか無事に終わり。
僕にとってはすごく有意義でした。勉強させていただきました。ありがとうございました。

仕事では、かつてお世話になった方にいろいろお会いすることができた。
そして仕事が終わった後は、普段なかなか逢えない友人たちに会うこともできた。
当たり前のことかもしれないけれど、みんな、自分の道を、自分の足で歩いていた。

仕事でも、仕事が終わった後も、自分の足で歩いているみんなが、かわるがわる僕に手を差し伸べてくれた。
そんな旅だった。

僕は、仕事で京都に来るのははじめてじゃないけれど、それでも、なんだか、自分が随分遠くへ来てしまったような気がした。

☆ ☆ ☆

京都を発つ前、鴨川のほとりに立ち寄った。

夕暮れが向こうにせまる鴨川のほとりで、手をつないで歩く男女を何組も見かけた。
旅行で京都へ訪れたとおぼしきふたり。
地元のふたり。
若いふたり。
ベテラン風のふたり。
年齢差のあるふたり。
僕にもいつか、あんなことがあったような気がする。
もしかしたら、夢でも見ていたのかもしれない。
でも、あんなことがあったような気がする。
そのことがなぜか嬉しかった。

僕はあらゆるふたりの邪魔にならないようなところに腰掛けて、缶ビールを飲んだ。
山々に囲まれた京都の街はとても蒸し暑かったけれど、鴨川のほとりにはほどよい風が吹いていた。
ちょうど一本飲みきってもう一本買いに行こうかと思った時、この世の終わりみたいな雨、雨、雨、雨、雨。

なすすべもなく何もかもがびしょ濡れになったところで、僕の短い旅は終わった。

☆ ☆ ☆

日々はこうしてどうしようもなく過ぎ去っていく。
僕はすっかり歳をとったけれど、いまだに、明日がどっちにあるかなんて、全然わからない。
お金とか、生きる目的とか、やりがいとか、地位とか名誉とか、まるでどうでもいい。
何も考えられずに、せめて生きるために働く。
今日という日を繰り返す、この日々の中で。

そして気がついたら、随分と沖まで流れてきてしまったような気がする。
最短距離とは縁のない、あまりにもとりとめのない旅路。
立ち止まることだけはしなかったから、なおさら僕は、自分がどこにいるのかさえ、本当によくわからないんだ。

でも、これだけははっきりと言えるんだけど、それでも、まだ、僕には聴かせたい歌がある。
(信じてもらえないかもしれないけど、こんな暮らしの中、曲はそれなりに、結構描いているのです。)
だから、もしも、この世の中に、僕の歌を、少しでも待ってくれている人がいるとしたら、すいません、もう少し待っていてください。
きっととびきりのかたちで、世に放ちます。

どんなささやかでもいい、僕は自分の力で、0を1にしたい。
長いものに巻かれず、大きなものにぶらさがらず、自分の力で。
どんなささやかでもいい。
それが僕だ。

まずはマイナスを0にするところから始めます。
どこにいても、いつも居心地は悪いから、僕はまだ旅を続けます。

いつか、どこかで、僕の新しい歌があなたに届きますように。



仕事終わり、初恋の嵐の「真夏の夜の事」を聴きながら。
YK

2017年2月3日金曜日

JUKEBOXのこと、Kawanishiくんのこと。

平素より大変お世話になっております。
wearerのYKでございます。
TwitterやInstagramにうつつを抜かしている間、こちらのブログの更新頻度はもはや年1。でも続いております。
改めまして、今年も何卒よろしくお願いいたします。

JUKEBOXというパーティが、この土曜日に終わりを迎える。
そして首謀者であるDJのKawanishiくんは、音楽にまつわるすべてから手を引くという。
またひとつの季節が終わる。

僕がJUKEBOXにはじめて足を運んだのは、2013年の夏のことだった。

なんでどうやってJUKEBOXと、Kawanishiくんと出会ったのかは、よく覚えていない(きっとTHISTIMEまわりの方がつないでくださったのだと思うのだけど)。
でもあの日、「サーキットイベントもクラブも自分にとっては並列なんで、とにかく面白いことするんでおねしゃす」とか言いながら泥酔してDJするKawanishiくんの姿を見て、DJブースからからまっすぐにとんでくる気概を受けて、僕はいっぺんにぐっときてしまったのだった。
DJのうまいとかへたとか、僕には正直よくわからない。でも、ロックンロールにとって演奏技術がどうでもよくなる瞬間があるように、僕はあの瞬間からKawanishiくんのことが好きになってしまったのだと思う。

それから僕は、JUKEBOXの面々とたくさんの夜を過ごした。

お客さんとしてパーティーに遊びに行くことも多かったけど、ありがたいことに、演者としてJUKEBOXがらみのイベントに出ることもあって。
自分のバンドの話で恐縮なのだけど、僕がやっているwearerというバンドは、とにかく寄る辺のないバンドで。
どのシーンの仲間にもなれず。どのジャンルにも属することもできず。流行りの音でもなく。特にクラブ映えするわけでもなく。
その、あらゆる隙間からこぼれていってしまうような僕らを、どう考えてもイベント的になんのメリットもない僕らを、「いいんじゃないの」と言ってくれる稀有な場所のひとつが、JUKEBOXだった。

Kawanishiくんはきっと、理屈や戦略や文脈じゃなく、「なんかこいつらいい感じ」という衝動に従って、僕らにかまってくれたのだと思う。それが、誰に媚びることもない、誰の顔色をうかがうこともない、Kawanishiくんの愛だったのだと思う。
「サーキットイベントもクラブも自分にとっては並列なんで」
そう、Kawanishiくんにとっては、おもしろいことは全部おんなじなのだ。今流行りで華のあるたくさんのバンドと、僕らみたいなおっさんがやってるしがないバンドを、おんなじようにおもしろがってくれた。月並みだけど、胸はってこれやってていいんだな、って背中を押された気がしてた。

そんなJUKEBOXがもう終わる。

JUKEBOXといえば、ついついKawanishiくんの話ばかりになってしまうんだけど、もちろんそこにはKINGさんっていう最高の女房役がいて(一緒に仙台のイベントへ遠征したときの、KINGさんの見事な仕事ぶりを僕は忘れないだろう)。
それから、朝方泥酔したKawanishiくんの代わりにきっちりその場をまとめてたskmtさんとか。shimaくんと出会ったのもたぶんJUKEBOXだよなー。
あまりにも濃いメンツがひとつのイベントを作っていく姿、まるでロックンロール・バンドのようだった。そんな空気も好きだったな。
だからやっぱり僕にとってのJUKEBOXは、青山蜂でのJUKEBOXで。最後蜂に帰ってきてくれたのは、さみしいけれど、なんだか嬉しい気もしています。

僕は、難しいことなんか全然わからないけど、JUKEBOXが、KawanishiくんのDJが好きだった。 それでいいと思ってます。
恋愛でも青春でも人生でも、終わるときはどんなものだって終わる。
それでいいんです。
僕は、JUKEBOXとKawanishiくんのおかげで、たくさんの人に、たくさんの音楽に出会えた。
ありがとう、さようなら。
ありがとう。

最後に。

KawanishiくんのDJにはいろんな思い出があるけれど、何より最高だったのは、ある夏のキャンプミーティングでのDJだ。
キャンプミーティングというのは、野外のDJイベントで。まあ都内で野外で深夜に爆音出したりするので、その日は警察なんかもきたりして、なんかすったもんだがあってイベントが中断して、音が止まってしまったのだった。

Kawanishiくんはまあやっぱり泥酔してたんだけど、「俺が話つけてくる」とか言って、警察に向かって行き、話がついたんだかつかないんだがそこのところはよくわかんないんだけど、とにかくイベントは続行することとなり。

そして、この先どうなっちゃうんだろうー、みたいな空気の中、静まり返った夜の帳の真ん中で、KawanishiくんはちょっとめんどくさそうにDJブースに立つと、「あのー、邪魔がはいったんすけど、パーティーはまだまだ続くんで」とか言って、Oasisの「Live Forever」をかけたのだった。

僕は思わず拳を上げた。

伝わるかな、この感じ。
Kawanishiくんはこんなふうに終始、「記録よりも記憶」の人だったのです。
僕にとって。そしておそらく、多くの人にとって。

どうか、音楽が鳴り止んだ後にも、こんなふうに鮮やかに「記憶に残る」Kawanishiくんの姿を、どこかで見ることができますように。そしてJUKEBOXクルーの皆様の、ますますの発展を祈って。